浄土教の世界

986年、比叡山の僧侶25名が集まり「二十五三昧会」という集団を結成しました。

毎月15日に念仏三昧をし、臨終にある仲間は皆で助けて念仏させ極楽往生させようとする、浄土教の一種の死の結社でした。この中心になったのが慶滋保胤と恵心僧都源信でした。

同志に病人が出ると皆で看病し、病により往生院(現在のホスピス)に移し、励まし合って、死ぬと遺体に光明真言をもって土砂加持をし、墓所に卒塔婆1基を建てて葬る。同志の葬式には必ず出席し、四十九日までは7日ごとに集まって念仏を修する。春秋2回同志が集まって念仏を修する。過去帳に名前を記し、祥月にも供養するとあります。

この臨終行儀(西方を向いた阿弥陀仏の前に病者を寝かせ、仏の右手に5色の糸をつけ、病者の左手にその糸を結んで念仏を数十遍唱えながら寝入るように死ぬ)としての念仏が現在の枕経の原型と言われています。

臨終に際しての阿弥陀仏への帰依は、葬祭における阿弥陀仏信仰を決定的にしました。

二十五三昧会によって各地に「二十五三昧講」が作られました。しかし、往生院は臨終に際してではなく墓堂化し、死後の葬祭の事と変化していきます。念仏講は、一度往生することにより穢れが清められ、病気が治り長生きでき安楽死できる、として民間で流行し、信仰を集めたようです。

死後だけではなく臨終を大切にしたことで二十五三昧会は特筆すべきですが、早く往生しようと僧侶の中に自死の流行も引き起こす結果となりました。

 

源信は985年『往生要集』を著しました。念仏による浄土信仰に関する百科全書のようなものです。

第1章「厭離穢土」は地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六道の苦しみを述べてそこから逃れ出るべきことを説きました。その地獄の描写の凄まじさは有名です。

第2章「欣求浄土」は極楽浄土のすばらしさを説きました。

第3章「極楽証拠」では、極楽が他と比較してすばらしいことを論証しています。

浄土教の系譜にある人々は地方へ、民衆へと入っていき、中世前期には庶民の葬祭は浄土宗の手にあるようになったと言われるほどになりました。

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